自立支援(大学進学)ご協力のお願い

カンボジアは、大きく変化しています。経済発展が進み、子供たちが自立していくための環境も大きく変化しています。また、カンボジアは、部族社会であるため親類等のサポートがあるかどうかは大きな影響を及ぼします。礎の石カンボジア孤児院の子どもたちは、まったく身寄りがない子も多く自分自身のみが頼りとなります。子供たちが自立して生きて行くためには、生きて行く術が必要です。 礎の石孤児院では、そんな彼らに大学進学できる環境をと願っています。どうぞ、孤児院に来た当初は、あんなに小さかった子供たちが、大人として孤児院から巣立っていくため、カンボジアの社会の礎となるためにご支援をお願いいたします。

※ご支援頂ける場合は、郵送振替とPayPalクレジット支払いの場合は、備考欄に「カンボジア孤児院自立支援 ご希望の子ども達の名前」とご記入下さい。銀行振り込みの場合は、メールにてその旨ご連絡頂けると幸いです。

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YO


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NA


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ヴィスナ



卒業生

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カイ

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ヴォッティー

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メーン


子どもたちからのメッセージ

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YO

YOは双子で生まれましたが、出産の際お母さんが亡くなり、家族は経済的に生活が非常に厳しい状況だった為、受入れ先を探しているという連絡を受け孤児院で受入れました。2人は仲良く成長して、双子の上のお姉ちゃんは12年生卒業後就職して孤児院から自立しましたが、YOは大学で学ぶ事を希望して、無事大学に入学しました。現在、土木工学を学んでいます。
★学費は、一年間で520ドル必要です。コロナ禍の大変厳しい状況ですが、大学の学びを終了出来ますように、皆様からのご支援を頂ければ幸いです。どうぞ、よろしくお願い致します。



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NA

NAは、7ヶ月の時に孤児院で受入れましたが、家族の所在はわかりませんでした。微熱が出たりすると食べれなくなり、食の細い赤ちゃんでしたが、徐々に食べる量も増えて安心しました。学ぶことが好きで、学校の成績も良く、12年生卒業後は日本語を学びたいという希望があり大学に進学しています。
将来は、日本語を使う仕事に就きたいと願っています。
★学費は、一年間で500ドル必要です。大学で学び続ける為のご支援を、どうぞよろしくお願い致します。



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ヴィスナ

カンボジアで孤児院の働きを始めて、最初に受取った孤児がヴィスナです。来た当初は、2ヶ月の小さな赤ちゃんでした。出産後お母さんが亡くなり、その後体が不自由だったお父さんも亡くなっています。家族の経済的状況は非常に厳しく、乳児のヴィスナに粉ミルクを買うことも出来ず、他の方からもらったというコンデンスミルクを薄めて飲んでいました。全身に痒みがあり、特に手の甲はかさぶたで覆われているという状態で、この痒みが完治するまでに4~5ヶ月ほどかかりました。数年前から砲丸投げを勧められてやるようになり、スポーツ大好き少年そして青年へと成長しています。高校卒業後の進路として、これからの時代に必要不可欠となってきたIT及びコンピューター関係を大学で学んで将来に役立てたいと願っているそうです。これからの学びの為に、皆様のご支援を頂ければ幸いです。どうぞ、よろしくお願い致します。

卒業生

※動画の下の紹介文はカンボジア孤児院の現地責任者であるルツ前田さんからの2015年6月10日時点でのメッセージです。

ヴォッティー

ヴォティーは10歳で孤児院に来ましたが、それまで1度も学校に行った事がなく、読み書きが出来ませんでした。当時子ども達が通っていた学校にお願いすると、幼稚園児達と学ぶ事を勧めて下さり、本人は年齢差のある園児達と共に喜んで学びはじめました。そして、数年後には、クラスでよい成績を取るようになり学校から成績優秀者として表彰されるようになりました。そして現在、好きな科目は英語、孤児院に英語圏からの来客がある時などは通訳をしてもらいますし、学校でも先生方からもとても信頼を受け、いろいろな責任を任されています。 すでに12年生になりましたが、家族のサポートがない背景とカンボジアの著しい経済発展が続く現在、将来に備えてあと数年、大学で学ぶ機会を皆様にご支援して頂ければ幸いです。どうぞ、よろしくお願い致します。

<レポート>

皆様の暖かいご支援をありがとうございます。ヴォティーは現在弁護士になるため、法律の勉強に日々励んでいます。



メーン

孤児院に来たのは、父親が亡くなり母親は育児を放棄して行方不明、親戚の助けで兄弟達だけで生活していました。しかし、学校には行けず、また十分に食べる食物もなかったようでした。このような中から孤児院に来て、毎日学校に行ける生活、1日3回ちゃんと食事できる生活、天井があり安心して休む事ができる生活に彼は心から喜び感謝して「僕を選んでくれてありがとう。」と作文を書いてくれました。学校での学びはとても成績優秀であるとともに、繊細な絵を描く事がとても好きです。12年生卒業後は、大学で建築設計などを学びたいと強く希望しています。皆様のご支援を頂ければ幸いです。どうぞ、よろしくお願い致します。

<レポート>

皆様の暖かいご支援をありがとうございます。メーンは年2回の試験は、1回目はクラスの中で2番という成績でした。2回目の後期試験の結果は、あと1ヵ月後にわかるそうです。大学2年目のご支援も、どうぞよろしくお願い致します。



カイ

小さい頃、極貧の中で母親と祖母を亡くし、カイと2人の兄弟も孤児院に来ました。カイは、小さい頃から機械いじりが大好きで、将来はエンジニアになりたい、といつも言っていました。12年生になった現在、今でも手先がとても器用で、機械いじりが大好きなところは変わっていません。経済発展著しい現在のカンボジアは、オートバイも庶民の足としてたくさん走っていますが、車社会へと大きく移行してきています。このような状況からも、12年生卒業後大好きな車の修理整備、電気関係等を学んで、将来の為に役立てたいと願っています。皆様のご支援を頂ければ幸いです。どうぞ、よろしくお願い致します。

<レポート>

皆様の暖かいご支援を有難うございます。カイは現在、学校の単位をすべて取得し研修先の自動車工場で働いています。今まで、カイのためにご支援頂き本当にありがとうございました。